コーチェラのメインステージの音響が好きだ。
インディオの砂漠でL-Acousticsが鳴るとき、音が「降ってくる」感覚がある。空気の密度が変わる。胸の中に何かが入ってくる。あれは単なる大音量ではない。物理の話だ。
ラインアレイという物理現象
コーチェラのメインステージには、K2ラインアレイが主ハングとして吊られている。脇にはKARA IIのサイドフィル、そして地面近くにSB28サブウーファーが並ぶ。K2を間近で見ると、各エンクロージャーが数度ずつ縦方向に角度を変えながら積み重なっている。あの配列には意味がある。
点音源スピーカーを1台置いた場合、音圧は距離が2倍になるたびに-6dBずつ落ちていく。逆二乗則だ。ところがラインアレイはそうならない。垂直方向に位相の揃った複数ユニットが並ぶことで、波面が円柱状に広がる。理論値では距離が2倍になっても-3dBの減衰に抑えられる。後方100mの観客でも、前方30mと大きくは変わらない音圧で聴けるのはこの理由だ。コーチェラで「砂漠の端まで音が届く」のは物理的な必然だった。
もうひとつ面白いのがサブウーファーの配置だ。SB28を使う場合、カーディオイド・サブ配置という組み方がある。3台のSB28を「前向き2台+後ろ向き1台」で並べると、後ろ向きのユニットから出た低音がステージ裏に向かう成分と、前向きの2台の後方放射成分が逆位相で打ち消し合う。結果として、ステージ後方への低音漏れが約-20dB抑制される。アーティストが演奏しながら轟音に晒されることなく、PA卓の音を正確に聴ける。出演者の耳を守りながら観客への低音を最大化する、エレガントな解法だ。
さらに深いのは事前設計だ。L-Acousticsが提供するシミュレーションソフト「Soundvision」に会場の3Dモデルを読み込んで、スピーカーの吊り角度・枚数・遅延値を入力すると、リスニングエリア全体の音圧分布がカラーマップで可視化される。コーチェラのエンジニアたちはフェス当日の前に何週間もかけてこの地図を最適化する。あの「降ってくる音」は、砂漠に機材を運び込む前から設計されていた。
Koe — 同じ体験を1/3のコストで
その体験を、自分の場所で再現したくてKoeを作り始めた。
MCUにはESP32-S3を選んだ。240MHz デュアルコア Xtensa LX7、Wi-Fi 6とBLE 5.0を内蔵する。ファームウェアはRustで書いている。no_std環境にesp-halとembassyの非同期ランタイムを組み合わせ、数千行のコードがフラッシュ512KBに収まる。C++のHALでは設定ファイルが一つ間違えるとヒープが溶けるが、Rustのコンパイル時保証はベアメタルでも裏切らない。
複数台の同期にはUDPマルチキャストを使う。アドレスは239.42.42.1:4242がオーディオフレーム、:4243がLED同期だ。NTPで各ユニットの時刻を合わせると、実測で±5ms以内の精度が出る。位相コヒーレントな再生には同期誤差を100ms以内に抑えることが条件で、そのマージンは十分にある。手元のMacからRoland Babyface ProでオーディオをキャプチャしてUDPに乗せるguitar-stream.pyを書いたら、エンドツーエンドのレイテンシが22msに収まった。会話で感じる遅延の閾値は約30msなので、演奏しながらリアルタイムでモニターできるギリギリのラインだ。
フォームファクターは4種類ある。SUBは15インチウーファー、アンプ出力1000W、$1,200。FILLは8インチ+1インチホーンの2ウェイ、$1,500。COINは直径26mmの丸基板に20mmユニットを乗せた$65の超小型モジュール。STAGEはRaspberry Pi 5を積んだ制御ハブ、$800だ。電波法の観点では、ESP32-S3-MINI-1が技適認証済み(認証番号 201-220017)なので日本国内でそのまま使える。
10,000人規模のフェスを想定したとき、SUB×10台 + FILL×18台 + COIN×4,000台で総額約$304,000になる。同規模でL-Acousticsをフルレンタルすると機材費だけで$1,000,000を超える。Koeは約1/3のコストで「降ってくる音」の体験に近づける、というのが仮説だ。